くれない

音楽、美術、アイドル、日常

原風景

 

 

 

蓮華の花を見ると、子供の頃の記憶が呼び起こされるのです。

親戚のいる千葉までの田舎道、片道2時間半ほどだろうか。あの頃は車中退屈で仕方が無かったけど、今思うと懐かしく愛しい時間。

匂いまで思い出されるよう。土手沿いのお祭りの、古びた屋台とざわめきと揺れる草花。未だに家にあるボロの手ぬぐい。2000年代初頭のあの場所あの景色が私の原風景のひとつになったのだと思う。

それから富良野のペンション。あそこで見た花火(手持ちだかロケットだか忘れた)が恐すぎて中学に入るまで花火という花火が大の苦手だった。記憶もない頃に連れられたラベンダー畑と麦畑。家に写真が飾られていたからか、(親戚も多くいるが、)北海道はなんだか遠い土地の感じはしない。

安曇野のペンションも覚えてる。森で囲まれた一軒家、屋根裏の美しい木目。ニュージーランドでは知人の家やパターゴルフの練習場、満点の星空でオーロラを探した夜。思い返すと恵まれた時間を過ごしていたことに気付く。そして記憶は変わらないのにいつの間にか歳をとっていたことにも。

きっと今私の心に響く音楽や芸術も私が昔見聞きしたあらゆる経験が呼び起こされ、それが私の心を突き動かしているのだと思います。

日々は過去のものとなり、思い出は美化されていく。

誰かが感じた刹那、郷愁、愛情、慈悲、それが何年何百年何千年前のものであっても、私の心と響き合うとき、その瞬間が私にとってのカタルシスとなるのです。

きっと今日という日もいつかの未来にとって懐かしい思い出となるのでしょう。未来の自分が思い返して愛しい時間だと思えるように日々こうして何でもないことを書き留めているのかもしれない。